バネ知識 あれこれ(バネの歴史)

  バネの歴史

    バネの歴史について紹介します。

1,「バネ」の誕生から今日まで

 類人猿から人類に進むにつれて、火を使い、道具を使うようになり、更に物の弾性を利用し罠や弓、ピンセット状の竹箸などを生活の中に
取り入れてきました。また、紀元前3世紀頃には羊毛を刈る青銅製あるいは、鉄製の握りはさみが用いられていたことが古墳からの出土により裏付けされています。アレキサンダー大王や秦の始皇帝の時代には、戦にバネを利用した投石装置が現れています。ギリシャ、ローマ時代
には、遺跡や、壁画などから弾性を利用した道具の存在が確認できます。バネは古くからありとあらゆる物に使用され、日常生活で何気なく
使っている身近な物にもたくさん使用されています。
 金属製のバネとして、機械要素部品に用いられ始めたのは15世紀末頃の時計用ぜんまいと推定されています。金属の弾力性を応用する事で
幅が広がり、エジプトやヨーロッパでは最も盛んに取り入れられ、次第に技術が発展を見せ、狩りから、戦争、建築、物と発展して来ました。

2,有史前のころのバネ

 バネ初期の用途についての情報は余り多くありませんが、人類は随分昔からバネ作用を利用しています。有史前に金属製のバネが使われて
いたことは、ヨーロッパやアジア地区で沢山の留めピンが発見されていることでわかります。これらの留めピンは装飾的なもので、宝石職人の技術の傑作ともいえるもので、体にまきつけていた毛皮服を止めていた原始的なピンにとって代わっていったようです。また、これらの留め
ピンは銅や真鍮で作られ、針金状にハンマーで伸ばされたものを留め金に合う形に成形されています。
 同じく有史前ではあるが、もう少し後になって、今日の安全ピンに似たヘリカルのねじりバネの様にコイルやループ形状のものが使われる様にもなっています。
 文明が進むに従って宝石職人や金銀細工職人は宝石箱や香料箱等に、今日我々が薄板バネと呼んでいる種類のスナップファスナの付いた蓋を取りつける様になりました。また戦争は発明やメカニズムの開発改良についての強力な圧力となって、弓にエネルギーを貯わえて矢を飛ばす
というバネ利用の初期の形態が現われました。この樣なバネを利用したエネルギーの利用はその後カタパルトや石を打ち出す大砲の開発へ発展していきました。バネの動力を戦争に用いたことは聖書にも書かれており、紀元前808年から212年までの資料にも出てきます。

3,武器と錠前に用いたバネ

 ローマ時代に石弓がいろいろの用途に用いられたことが報告されていますが、この武器は今までの弓矢より遠くかつ正確に矢や棒切れ等を
投げつけることが出来できました。中世の石大弓は12世紀に主として使われたもので、10世紀11世紀には知られていません。或る専門家に
言わせるとこの石大弓の弓は鋼製であったと言われています。いづれにせよ鋼製の弓は10世紀から12世紀の間に初めて用いられたようです。そして鋼製の弓を発射位置にまでたわませるためのバネ張力が非常に大きかったので、鋼製の弓をたわませるのに特別の方法が試みられたとも言われています。石大弓はマサチューセッツ州ウースターの博物館に展示されています。
 1425年に火縄銃が考案され、この改良によって引き金用バネが開発されました。この発明のお蔭で銃を両手で支えられるようになりました。始め撃鉄は重錘をつけたレバーを押し上げて作動させたが、間もなく最初の引き金バネに置きかえられ大変便利になりました。火縄銃の
発明は小型兵器産業の始点であるといえます。車輪式引火銃は導火索を用いず、雨天でも使える最初の銃でした。この銃は最近の自動銃が現われるまでの間で最も複雑な機構をもったものでした。この原理は最近のシガレットライターと同じもので、粗面をもつ銅製の車を素早く回転
させて硫化鉄か黄鉄鉱に押しつけて火花を出すもので、車はバネによって押しつけられるようになっています。また、車はソケットレンチで
捲き上げられたバネによって駆動されます。この発明は1517年にニュールンベルグで認められています。車輪式引火銃は1700年代まで用い
られ、1585年から1700年の間に数種の様式が開発されましたが何れもバネを用いた火打ち石方式のものでした。これらの銃は1575年から1825年まで用いられ、或る国では1900年まで用いられたといいます。
 カートリッジ式兵器用の雷管が1807年から1860年の問に開発されましたが、興味深くかつ極めて注目すべきことは、今日の小型武器と同じような設計の薄板バネや鍛造又は削り出しのバネが引き金や打ち金の歯止めや撃鉄用に用いれていることです。
 このように戦争の歴史を通じ、武器にバネを用いるというバネの歴史は知ることができるが、15世紀頃に到るまでの、バネの一般用途の歴史はほんの僅かしか知る事ができません。エジプト人が作ったと思われるシリンダー錠のプロトタイプとおぼしき木製錠は古代アシリアの町
ニネベの廃址から発見されています。この町は紀元前数世紀に存在しています。ローマ人は金属製の錠を作り、英国における錠の使用は紀元前9世紀に始まったと言われています。どのようにしてこの時代に錠を作ったかは明らかでないが、バネが機構の一部に使われたことは確かです。彼らは材料を鍛造したり、据込みをして作動に必要な形につくり、武器や他の機構に使用される前に長い問使用していたものと思われ
ます。鍛冶職人でバネに興味のある人は色々なものを考案し、小型の武器や時計の開発は彼等の努力やアイデアを拝借したに違いありません。
紀元1500年までに錠前の製造は確立された商売になったものと思われます。
 少々重いが、大箱に取付けられた素晴らしい錠前機構は1600年の初期に作られています。これはウースターのヒギンス博物館に陳列されています。この機構には一個の平材コイルバネと数種の板バネが用いられています。この平材コイルバネは、材料は少し広い幅であるが、今日の自動車のドアロックに用いられているバネの前ぶれのように思われます。そしてその形はブラシホルダーのバネの形でもあります。今日の設計によく似た錠は1700年代に現われたバネが機能の一部になっているのが分かります。

4,中世から20世紀初頭のころのバネ

  ローマ帝国の滅亡から、ルネッサンスまでの中世即ち暗黒時代には、新しいアイデアについての記録や出版物はキリスト教に対する邪論
として取扱われ、制限されていました。色々な情報から察するに、色々な製品や機構部品として欠くことの出来ないバネは必要があると、完成品を作る技工や技芸家によって作られたものと思われます。したがって、兵器職工、鐵工、宝石職人、金細工職人、銀職人、錠職人、時計職人等がバネ職人を兼ねていたと思われます。これらの職人の多くは11世紀にさかのぼる各種ギルドのメンバーでありました。錠前職人や時計職人のギルドはこの時代より前に存在しています。時計職人のギルドは1544年にフランスのパリで、1630年に英国ロンドンで結成されていたといわれています。これらの近代ギルドは長い間存在し時計技術に貢献しました。しかし、バネ職人のギルドは歴史をひもといても見付け出すことはできませんでした。
 ルネッサンス頃、紀元1500年の初め頃から各種の科学や機械に関する発明発見の公な発表がなされ始めています。時計の製造がバネの製造や利用について大きな役割を果したことも歴史から見ると必然的なことであるといえます。時計工業の要求によって、技術の進歩と共に鋼の
製造の新しいアイデアが生れ、バネ技術の定形的な形が生れました。
 14世紀に入ると、時計の作動をより正確に制御する機構が始めて実用化されました。ブリタニカ百科事典のグラストンバリ時計に関する説明によると幾つかのバネがこの時計機構の中で振子の減速用に用いられているがその取付方法がぎこちなく正確性をかえって損なう様なもので
あったと述べています。これが時計にバネが用いられたことを初めて歴史的に証明するもので、振子の運動に対し摩擦を加えて調整する機構に用いられたことが明らかにされています。
 17世紀に入りフックはひげゼンマイを発明しました。(1675年)引張りにおけるフックの法則は彼が時計を作ることに全力を注入したときの結果として発見したものです。
 18世紀になるとゼンマイは時計には常用されることになったが、冷間圧延鋼は19世紀になるまで一般に用いられる状態ではなかったので、熱間圧延による銅帯を用いたものと思われます。鋼板は1620年以前にボヘミアで作られた記録があり、この方法は1720年にウェールズへ錫の板を作るために紹介されています。この時代、英国のシェフィールドは鋼製造の中心といわれていました。そして1700年代の初めには、バネ用の鋼板が作られています。その後、英国のシェフィールドを中心に鋼の製造が進歩をして行くが、この間に1704年に生れたオランダ
クエーカー教徒の子供であるベンジャミンハスツマン等が製鋼法を改善し、その方法がフランスにも伝わって、バネ用鋼の改善が欧州各地へ
伝わって行った様です。
 米国では1800年代の初期に重錘式時計が使われたことが明らかにされていますが、これに用いたバネ類は英国やフランスから輸入された
そうです。文献によると18世紀の後半になって、8日巻時計のぜんまいに必要な9フィートの長さの帯鋼が始めて作られたということになっています。その後、材料製造の分野では着々と開発が進みました。

参考文献 「ばねハンドブック」 (社)日本ばね工業会 2005年

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